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鳴子温泉3

鳴子温泉を紹介してきました名物探偵Xです。今回も鳴子温泉のお話にお付き合いください。

鳴子温泉は奥州三大名湯のひとつに数えられています。多くの温泉宿、共同浴場、足湯などと共にお土産やさんや食事処でにぎやかな温泉街を作り出しているのです。
鳴子温泉では下駄手形というものを100円で購入すると下駄看板とポスターのある協賛点での特典やサービスが受けられるのです。下駄手形とレンタル下駄のセットが100円、下駄手形と杉の下駄、そして湯めぐり手形のセットが2500円のお得なセットもあって、鳴子温泉駅内にある鳴子観光・旅館案内センターというところで購入することができます。これで下駄を履いて鳴子温泉の街を歩くのはとても楽しいですよ。温泉マップを見ながら「街を歩けば下駄も鳴子」が大好評だそうです。

温泉街では宮城の伝統工芸の「鳴子こけし」を作っているところも見ることができるし、工房や資料館では絵付け体験もできるようですね。温泉の女将の有志によって開発されたというオリジナル食前酒「おかみの梅酒」や、鳴子の米プロジェクトから誕生したお米「ゆきむすび」など、観光客が楽しめるようにさまざまなものをかたちにしているのです。

他にも温泉だけでなくこの周辺では楽しめるところがいっぱいです。一年中、楽しむことができる鳴子温泉、癖になります。

鳴子温泉2

全国の珍しいもの、美味しいもの、そして観光地を紹介しております、名物探偵Xですが、今回も引き続き「鳴子温泉」についてお届けいたします。

さまざまな泉質を楽しむことができる鳴子温泉ですが、鳴子温泉には2つの共同浴場があります。
一つ目は「滝の湯」です。滝の湯のお湯というのはすぐそばにある温泉神社のご神湯を引いています。1000年もの歴史がある浴場です。総ヒバ造りでできていて、湯船は大小2つ。奥には打たせ湯になっていて、このお湯は建物裏の源泉から引いているものです。お湯は硫黄泉で白濁。湯の花も浮いていて、かけ流しなのです。やや熱めです。慢性皮膚炎や切り傷などに良いとされているのです。ここは1日200人以上の人が訪れ鳴子温泉のシンボル的存在でもあります。
二つ目は「早稲田桟敷湯」です。ここは昭和23年に早稲田の大学生が掘り当てたお湯だといいます。外観がクリームイエローでなかなかおしゃれです。ちょっとみたら共同浴場だとは気付きません。建物の階段を下りていくと受け付けがあります。お湯は透明で湯の花がふわふわ浮いています。独特の玉子臭がします。かけ流しです。
この早稲田桟敷湯にはもう1つ、貸切風呂があるんです。別料金になりますが、予約してゆっくり家族で入ることができるんです。しかも露天風呂になっているのでとても気持ちがいいのです。

他にも足湯があり、のんびりゆっくりできる温泉です。

鳴子温泉1

寒い冬にはゆっくり温泉にでも浸かりたいなぁと思っている人、いますよね。今回は宮城の温泉を紹介する名物探偵Xです。

今までもいくつかの温泉を紹介してきましたが今回ご紹介するのは「鳴子温泉」です。鳴子温泉は福島の飯坂温泉と宮城の秋保温泉と共に奥州三名湯としても有名ですよね。
鳴子温泉は4つの温泉からなっている鳴子温泉郷の中心地にあります。

鳴子温泉は日本有数の源泉数。21の温泉宿に2つの共同浴場。5つの足湯に1つの手湯があるんですよ。それ程広い地域ではないところにこれだけたくさんのお湯を楽しむ場所があるのです。

泉質は単純温泉・重炭酸士類・重曹泉・食塩泉・硫黄泉・酸性泉などさまざまなお湯があります。これだけあるので、旅館や施設ごとに泉質も違うのでそれぞれに楽しむことができます。
鳴子温泉は「かっけ川渡、たんせき田中、せんき車湯、かさ鳴子」というように効能などについてうたわれてきました。古くから温泉療養、湯治にと利用されてきていましたが、最近では天然温泉による美肌効果がもたらされることから美肌の湯や美人の湯としても有名になりとても人気があるのです。

鳴子温泉では温泉だけでなく「高温泉」の熱資源を活用した自然に優しい温泉地を目指そうとしているのです。

フィギュアスケート発祥の地

全国の珍しいものや観光地、美味しいもの、その土地に関することをいろいろとご紹介しています。名物探偵Xです。

冬のスポーツでとても盛り上がるフィギュアスケート。宮城といえばオリンピックの金メダリスト、荒川静香さん、今現在世界でも活躍している羽生結弦選手などが有名ですよね。他にも宮城からはたくさんの選手が輩出されています。女子も男子も日本代表の選手は世界で大活躍していて、とても応援しがいがありますよね。

これだけ人気のスポーツであるフィギュアスケート、日本全国で小さい子達が一生懸命練習していますが、このフィギュアスケートって実は宮城県仙台市が発祥の地だということを知っていましたか?

JR仙台駅から西へ約2kmのところにある仙台市博物館。この入り口に「五色沼」という小さな池があるんです。この五色沼は元青葉城三の丸のお堀です。ここは冬になると凍結していました。ここで明治中期、仙台に在住していた外国人がスケートを始めその中にフィギュアスケートをする人がいて日本人に教え始めたそうです。日本でのフィギュアスケートはここで発祥したというように言われているんです。
現在はこの場所が凍結しスケートができるということはなくなりました。氷ができてもとても薄いので人が立つのも難しいでしょう。

この五色沼そばには男女ペアのスケーターの像と「フィギュアスケート発祥の地」という碑が建っています。

宮城県まで伸びる「三陸海岸」(4)

名物探偵Xです。
今回も引き続き、宮城県沿岸など、「三陸海岸」についてふれてみたいと思います。

特に観光について取り上げてみましょう。

「三陸海岸」の岩手県部分は、主に「陸中海岸国立公園」に指定されています。
宮城県の部分は「南三陸金華山国定公園」に。

南北に続いている「三陸海岸」やその西側の北上山地などは、そもそもは海底にあった場所で、隆起や沈下、侵食など、自然の造形によるものです。

このことから、もとは海底にあった証拠でもある鍾乳洞や大理石などの石灰岩地形がいたるところに見られます。

景勝地の大半が、石灰岩の白さ、植物のグリーン、そして深く澄んだ海と空の青という、たいへん優美な組み合わせ。

砂浜のうちのいくつかは「鳴き砂」の浜辺となっていて、観光地として人気です。
「鳴き砂」は砂地が汚れると音がしなくなるため、地域住民が浜辺の清掃だけでなく、海水が汚れないよう努めるなど保護活動が行われています。

また、「三陸海岸」は古くから「三陸沖」を震源とする地震などにより、これまでもしばしば津波による被害を受けてきました。
東日本大震災による被害は記憶に新しいところです。
住民の皆さんのためにも、1日も早い復興をお祈りします。

宮城県まで伸びる「三陸海岸」(3)

名物探偵Xが、前回と前々回に引き続き「三陸海岸」についてお話しましょう。

今回は沿岸地域の宮城県など、漁業についてふれてみたいと思います。

「三陸海岸」沿岸の暖流は、日本海を北流した対馬海流が、津軽海峡を通過して八戸辺りまで南へ流れてきたもの。
日本列島南岸の太平洋を東に流れてきた黒潮が、気仙沼辺りまで北へ流れ込むため、二つの暖流が流れる海域では海水温が高い季節があり、海流の間の沿岸水域は水温が低くなります。
そのため、沿岸漁業ではやや地域差があり、漁獲にはバリエーションが。

世界三大漁場の一つ「三陸沖」として知られる沖合いは、黒潮と親潮がぶつかる良漁場。
「三陸沖」はサンマやカツオなどの主漁場となっていて、日本各地から「三陸沖」で操業しようと漁船が集まって来ています。

このため、日本の特定第3種漁港13港のうち、八戸・気仙沼・石巻・塩釜の実に4港がこの地域に集中。
漁船に乗っている外国人も含めると、港では日本各地の方言や外国語が飛び交うなど、日本有数の主要な港であることが伺えます。

沿岸漁業や養殖漁業では、ウニ、ワカメ、カキ、ホタテ、ホヤなどが主要産物。
ワカメは全国収穫量のおよそ70%を占めています。
そのうちいくつかの漁港は、現在も遠洋漁業の基地として発達。
マグロなどを扱っており、捕鯨基地も存在します。

宮城県まで伸びる「三陸海岸」(2)

「三陸海岸」と耳にすると、まっさきにリアス式海岸と新鮮な魚介類が思い浮かびますね。

さて、今回も私、名物探偵Xが、宮城県にその端を置く「三陸海岸」についてお話したいと思います。

今度は地理的なことに少しふれましょう。

「三陸海岸」は全体的に隆起に富んだ地形ですが、これは岩手県宮古市あたりを境に南北で異なる様相を見せています。

岩手県宮古市より北部では陸地が大きく隆起していることから海岸段丘が発達しています。

そのために段丘崖が海に接している海岸が多く、港に適した場所があまり多くありません。
段丘面は侵食によって既に深い谷が形成されているところも多数見られますが、八戸市周辺などではなだらかな台地状をしていて、農業や牧畜などが盛んです。

一方、宮古市よりも南ではリアス式海岸が目立ちます。
水深の深い入り江が多数あり、港は天然の良港となっていて漁業が盛んです。

「三陸沖」は世界三大漁場にもなっており、江戸時代には、干しアワビ、フカヒレなど、中国向けの輸出品であった「長崎俵物」の産地でした。

「三陸海岸」がいかに変化に富んでいるか、海岸線をドライブし、景色を眺めながらの旅行というのも乙ではないでしょうか。

宮城県まで伸びる「三陸海岸」(1)

海に囲まれた日本列島の名産品には魚介類が数多くあります。

今回はそんな魚介類の宝庫とも言える「三陸海岸」について、私、名物探偵Xがお届けします。

「三陸海岸」は東北地方の太平洋側に位置し、青森県南東端あたりから宮城県の牡鹿半島までの海岸の総称です。
その距離およそ600km。
北部は海岸段丘、南部はリアス式海岸となっており、海はる世界三大漁場の「三陸沖」と呼ばれています。

江戸時代には、まだこの海岸全体を指す名称は不明でした。

明治元年(1869年)の戊辰戦争の影響から、太政官布告によって「出羽国」が2つに、「陸奥国」が5つに分割され、このとき、「陸奥」・「陸中」・「陸前」と3ヶ国が設置されて、3つの”陸”の字のついた国は「三陸」と総称されるようになったのだとか。

明治29年(1896年)に発生した地震および津波によって、「三陸海岸」は甚大な被害を受けました。
しかし、このときにはまだこの海岸全体を指す言葉が無かったために、この地震・津波の報道では当初様々な呼称が用いられたそうです。
そのうちに「三陸」という言葉が用いられるようになり、ようやく「三陸海岸」と呼ばれるように。

幻の仙台朝廷と戊辰戦争(4)

各地の名所旧跡などの情報をお届けしている名物探偵Xが、今回も仙台の歴史を紐解いてまいります。

王政復古のあと、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩ら新政府軍と、旧幕府勢力と奥羽越列藩同盟は、1868~1869年(慶応4年・明治元年~明治2年)に戊辰戦争を起こします。

開戦後、1868年(慶応4年)の1月17日、鳥羽・伏見の戦いで勝利した新政府は仙台藩に会津藩への追討を命令しましたが、仙台藩はこれに答えることはありませんでした。

歴史は混沌を極めます。
あらゆるところで人が殺害され、権力は人から人へと渡り歩いていきました。

6月、たった1日で新政府軍の勝利となったに上野戦争から逃れてきた孝明天皇の弟、輪王寺宮公現法親王(その後の北白川宮能久親王)が、列藩同盟の盟主として据えられることに。
当初は軍事的な同盟の総裁への就任が要請されていましたが、結局、盟主のみの就任に決定したのです。

仙台藩と会津藩には、とある構想がありました。
それは、輪王寺宮を「東武皇帝」として即位させるというものです。
輪王寺宮の即位の有無には議論もあるところですが、仙台藩主・伊達慶邦は征夷大将軍に、会津藩主・松平容保は征夷副将軍に就任する予定だったということですが、もちろん、この計画は失敗に終わりました。

幻の仙台朝廷と戊辰戦争(3)

各地の名所旧跡などをリサーチ、情報をお届けしている名物探偵Xです。
今回も前回、前々回に引き続き、仙台の歴史に関わっている戊辰戦争と、幻の仙台朝廷について語りたいと思います。

戊辰戦争は、王政復古のあと、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩ら新政府軍と、旧幕府勢力と奥羽越列藩同盟が繰り広げた、1868~1869年(慶応4年・明治元年~明治2年)に起こった内戦です。

慶喜は二条城から大坂城に拠点を移した頃、その一方で新政府内では薩摩藩が孤立を深めていました。
江戸市中で、薩摩藩士やその周囲の浪士が放火や強盗などを繰り返し、江戸の町は混乱に陥ることに。

そして、この行為が大坂の旧幕府勢力を激高させるに至ったのです。
会津藩士らは新政府軍の打倒に燃え、薩摩藩の掃討を掲げ、幕府歩兵隊・会津藩・桑名藩などを主力とした軍勢が京都へ向かうことになりました。

1868年1月26日(慶応4年1月2日)の夕方のことでした。
幕府の軍艦二隻が、兵庫沖に停泊していた薩摩藩の軍艦を砲撃したことにより、開戦。
翌27日(3日)には、京都の郊外の鳥羽・伏見で薩摩藩・長州藩で構成された新政府軍と旧幕府軍が戦闘を行います。
これが、いわゆる「鳥羽・伏見の戦い」でした。
兵力は、新政府軍が約5000人、旧幕府軍が約1万5000人であったと言われています。